院長紹介

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院長プロフィール

院長
奥田浩規OKUDA

南あわじ市出身。
愛知学院大学歯学部卒業。
愛知学院大学歯学部附属病院勤務のあと、
神戸市内にある、医療法人の歯科医院で勤務を経て、
2012年11月22日「奥田歯科医院」開院に至る。

経歴

  • 愛知学院大学歯学部付属病院 研修
  • 神戸市医療法人歯科医院勤務
  • JIADSペリオ8ヵ月コース受講
  • JIADS再生療法コース
  • Nobel Biocare ベーシックコース
  • straumann基本外科コース
  • straumannベーシックコース  
  • JMMソケットリフトコース
  • 大阪歯科大学ポストグラデュエイトコース 
  • 総義歯LIVE2ヵ月コース 小出馨教授
  • 日本臨床補綴研修会8ヶ月コース 小出馨教授
  • 大阪 SJCDレギュラーコース
  • SJCDマイクロコース
  • 咬合・補綴設計コース 受講
  • GPOレギュラーコース受講
  • GPOアドバンスコース受講
  • 明石矯正ベーシックコース
  • 明石矯正アドバンスコース
  • OSIインプラントコース受講
  • 麻酔・鎮静法実習コース
  • 小濵コース受講
  • 大森塾2期生修了
  • 大森塾ADPRインプラント周囲の軟組織マネージメントコース修了
  • 大森塾ADPRインプラント定位置埋入・マイナー
  • 大森塾ADPRTEKコース
  • 矯正と補綴の融合コース 原宿マスターコース

所属学会・スタディーグループ

  • 臨床歯周病学会 関西支部 理事
  • OJ-Osseointegration study club of japan  会員
  • 日本臨床歯科学会(大阪支部)COKI 理事
  • COKI (旧:古希の会) 会員
  • チーム三ノ宮
  • LSGP神戸 会長
  • I6 会長 ファウンダー
  • I6 implant education インストラクター

院長奥田をもっと知っていただくために

幼少期

兵庫県淡路島の南あわじ市で生まれ、海もあり山もある自然豊かでの長閑な地で育ちました。
幼少期からおばあちゃん子で、いつも祖母の後ろにひっついていた記憶があります。
祖母には小さい頃から、本当に可愛がってもらい、私も祖母が大好きでした。
田舎のため外に出て遊ぶことが多く、3つ上の姉によく遊んでもらいました。
父親は歯科医師であり、幼少期から教育には厳しかったですが、普段はとても優しい父親で母も含め家族のことは本当に大好きでした。
特に幼少期に覚えていることは、父親の指示で小さい頃から、
飴やガムなどの甘いものは食べさせてくれなかったことです(笑)
そのため、今になっても飴やガムを食べる習慣は無く、虫歯が少ないのも、そのおかげでしょうか!?


小学生時代

小学生に入ると少年野球をはじめました。
朝から晩までバットを振り回し、将来はプロ野球選手になろうと思っていました。
野球の練習をしているか、外で遊んでいるか、そんな小学生時代でした。
やんちゃな性格は変わらず、落ち着きのない、せっかちな子供でした。
叔父が中学校の教諭をしていたこともあり、小学生から、叔父によく勉強を教えてもらっていましたが、落ち着いて、じっとできずによく怒られました。


中学・高校時代

中学生になっても相変わらず野球に明け暮れていました。
じっとしていられない上に勉強が苦手であった私は、いつも両親から
「ちゃんと勉強しなさい!!」
といつも言われており、中学時代には、あまり良い思い出はなかった気がします。
それでも両親のお蔭か、高校は淡路島にある進学校に入学しました。

高校時代では今でも付き合う友達とも出会い、楽しい生活を送りました。
スポーツは好きで続けていました。
また感性が豊かになり、色々な趣味が増えます。
それは、服飾が好きで、あらゆる服や靴のコレクトをするようになりました。
この頃から、好きなモノに対してはとことん執着するようになりました。
そして高校生の時は何と言っても、今後の進路のことで両親とは、よくもめました。
当時、勉強が苦手だった私は一足先に歯科大に行った姉と比べられるわけです。
姉より勉強ができず、とてもコンプレックスがありました。
しかし、服飾関係など華やかなことが好きだった私は内心、そのような仕事につきたいと思っていました。
しかし父親が今まで苦労して歯科医師になり、歯科医師として医院を継承してほしいという熱い思い、そして患者様に喜ばれる素晴らしい仕事だということを語ってもらい、『よし、僕もお父さんと同じ歯医者になろうと決意しました。』


大学時代

やっと受験から解放されて、『もう勉強は当分しなくていいんだ!』
という思いで大学生活をエンジョイすることになります。
大学時代はもともと好きだった音楽にのめり込みます。
それはブラックミュージックです
soul,R&B,hiphoip,をレコードで聞くためにレコード収集にハマりました。
ブラックミュージックのルーツでもあるJAZZやFANK,SOULにもハマり、音楽の素晴らしさに没頭しました。
昔から収集癖のある私はレコードコレクターになっていきます(笑)
大学時代は音楽を通じてたくさんの職種の方と知り合い、貴重な人生経験をさせてもらいました。
当時、レコードを買うためにバイトもしました。
特にJAZZが好きだったので、生演奏をしているJAZZバーでもバイトをし、そこで大人の方と喋る機会が増えました。
僕みたいな若者でもJAZZの知識があれば大人の方はたくさん喋ってくれるんだと思いました
大学時代は童顔で大人の方と喋るのが怖いと思っていた私が変わった転機でした。
これは、今にも通じることですが、いろいろな方と喋る時は何でも知識があれば、共通の話題で気兼ねなく話すことが出来るんだと思いました。
知識こそ最高の資産だと認識しました。
今では、JAZZ中毒からも抜け、この反動が歯科に変わったと思います。


歯科医師になって

国家試験合格後は出身大学の愛知学院大学歯学部総合診療科に一年、在籍し、その後は神戸市にある歯科医院で勤務医をします。
「歯科医は補綴ができないと一流にはなれまい」
という思いで、補綴に関しての専門歯科医院で、お世話になることになりました。それからの五年間は、本当に土曜日も日曜日も休むことなく、全てのエネルギーや時間を「歯科医療に関すること」に費やしてきました。
「とにかく経験を積まないといけない」
「人が休んでいる時に働かないと、そして勉強をしないと、技術向上は望めない」
という思いがとても強かったです。
私は、時間に都合がつけば、研修としての講習会にたくさん出向くようになりました。
多くの患者様を診て、「経験と技術」を人より早く習得したいと思う気持ちでいっぱいだったからです。
勤務先の歯科医院では、ひとりひとりの患者様に対して、丁寧に時間をかけて、まるで「職人」のような感じで歯科治療をおこなうことを学びました。
また、歯の治療は「見えない部分の治療」であり、治療施術者の「プライド」が大事です。そして、「妥協しない」こと、「出来るまでおこなう」、「徹底した丁寧な治療」をおこなう姿勢が重要であることを学びました。
また患者様への「振る舞い」や「しゃべり方」、その他、歯科医として、知識や技術以外に「社会人としての人格形成」の指導を受けることができました。
もの事の考え方や、いろいろな場面での論理展開を院長や医院スタッフから学びました。貴重な勤務医時代を感謝しています。
その反面で、「保険診療の患者様」中心の治療をしている医院のアルバイトにも行きました。「一日に何十人の患者様を診る」という、スタイルでの仕事も経験しました。決められた時間のなかで、いかに早く患者様を診るか、そして、どのように患者様の治療の順番を決めていくか、ということを学びました。
「短時間の治療」では、「その場しのぎの治療」になり、丁寧に時間をかけることはできないのが実情です。私はこのような歯科医療のスタイルのなかで、自分の目指す方向を決めなければならないと思いました。
患者様の歯の治療をしていくうえで、患者様から心より喜んで頂いたり、患者様が本当に困っている時に、役に立てたりするという「やりがい」に気づきました。
また歯科医師のよきライバルと出会うことで、お互いを高めあったり、歯科の勉強をする「楽しさ」にも気づきました。これも「やりがい」につながることです。今になると、大学卒業当初にあった「同級生に負けたくない」という葛藤は、「どうでもいいや」と、思うようになりました。人に負けたくないから、知識や技術を研鑽するのではありません。それは、「自分自身のため」であり、なによりも「患者様」に喜んでもらうためなのです。このように思うようになりました。
今は、歯科医師になって本当に良かったと思っています。
高校生時代に父親が熱心に語ってくれたおかげです。
歯科医師という仕事で、患者さまの治療のことや、歯のことで、勉強に没頭する時間を費やすことは、なんの苦労でもありません。それは歯を、歯科医療という仕事が、私は本当に好きだからだと思います。
仕事を終えてから参加している勉強会があります。そこへ参加するなかで、同じ志を高くもつ仲間やライバル、指導者にも出会っています。とても良い環境に居ると思っています。
SJCDという日本では最大の「歯科臨床スタディーグループ」に属しています。私は、その講師の方々から、人前で発表したり、話をする機会を与えて頂いています。そのメンバーから認めてもらうことで、歯科医師として、いま自分がどういう位置にいるのか、向かう方向はどこなのか、というものも明確になってきました。
もっと「上のレベル」を目指したい、自分のおこなった治療を世間で認めてもらいたいと思うようになりました。私という歯科医師が、「歯科医師の手本」となるような臨床医になりたい、と切実に思うようになりました。
もちろん、第一義には、私にとって、困っている患者様の役に立つこと、患者様に喜んでいただくこと、社会奉仕の精神を持つこと、これらは当然です。次に、自分の治療した患者様を「一生、責任をもって対応していきたい」という気持ちが強いのです。勤務医では、これがなかなかできないのです。
このような考えから、「こうなると自分の歯科医院を開業しないと、何も始まらない」と痛切に思いました。また、勤務医の働き方では、どうしても「治療材料」や「お金」、「時間」などに制限があるので、歯科医師としての自分のおこないたい治療を、理想的に考えて、実行することがむずかしいのです。
歯科医師として、自分のおこなう治療に関しては、信念を曲げることなく、時代に左右されることなく、ブレない気持ちで望むつもりです。